よくいいますよね、他人と異なる行動をとる人を尊重する「みんな違っていい」という言葉。歌とかでもありますけども、政治家とか偉いひとたちも口にします。ただね、それって現実的には何も誰も違っていいと思っていない。そうなっていない。
義務教育。これこそもみんな違っていいとなっていませんよね、みんな同じ服着て同じ時間に登校して同じ授業を受ける。それと違う行動する人を違っていいっていう世の中ですか?なんだあいつ昼間からブラブラして、学校にもいかないでとなりますよ。
世間ではよくみんな違っていいという風にいいますけど、現実は全くそうじゃない。子供にしてみれば大人が言うことはきれいごとだとなりますよ。みんな違っていいって言ってるけど、みんなと違うことしたら怒られるだろって。
じゃあ何をしても許すかというとそうじゃないんですよね。だから!この「みんな違っていい」はモラルや常識が世間の水準に達した人は!という隠れた意味があるんですよ。そこを端折るのでおかしくなる。
TVとかできれいごとを並べる大人がいますね。子供を叱るとダメとか、好きなことをさせろとか、縛るからいかんとか。。。はっきり言ってきれいごとですよ、TVだから言っているだけですよ。子供の支持を得たいからですよ。マジ観てると反吐が出る。
みんな違っていいんだよ、ダイジョブだよ
これを大人が投げかける場合、たいていは精神的な病の人か不登校などの子供とか世間でいう外れものにたいしてです。そう言うしかないからです。なんでお前だけできないんだって言ったら追い詰めることになるから。それにそういう人には必要な言葉なんでしょう。
それをSNSに持ち込むと、親がわるい、クソ親なんだから気にすることないっていうんですよ、そりゃそうですよね。書き込みしている本人はなんも責任ないし自分が何も絡んでいないからきれいごとを言えるんですよ。だって追い込むような書き込みしたら通報されるんでしょ?そりゃ誰も否定事かかんわ。
みんな違っていい。はきれいごと。
きれいごとでも救われるひとはいる
おわりー