激しい喜びはいらない、そのかわり深い絶望もない

何かあったら書こうか。それとも黙ろうか。それが問題だ。

自分のことを好きかって?

自分のことを好きかどうかを聞いてきた同僚がいましたって話

 

自分のことを好きかどうかとはどういうことか。自分のことを第三者として見て人間的に好きかどうかってこと?質問の意味が分からないし、どういう答えを期待しているのかも不明。もうひとり自分と全く同じ人が第三者として存在していたとしましょうか、嫌いな人いるんですかね。。。趣味趣向が全く同じ、同じところで共感でき、意見や主張や考え方も同じ、もしこういう人間は嫌いというのならどういうことなんでしょうかね。人って調和を求めるとき自分と同じ趣味や考え方をする同士が集まりますよね、「わかるー」って本心から言ってくれる人がいるってことですよ。もしそれを嫌いというなら自分の考え方や趣味趣向が嫌いということになりますが、、、意味が分かりません。自分の趣味趣向が嫌いなら、そういうのを叱ってくれる人がいいということでしょうか。異なる意見を言ってくれる人、意見をぶつけれる人が好きで、同調できる人は嫌いという考え方になります。

 

自分が嫌い→自分と同じような考え方をする人が嫌いで、常に対立する人がすき、となります。こういう人は普通とはいいません。希少種です。私の学生時代は趣味趣向は同じ意見の人と集まる、集まっていたという傾向にありました。そのほうが話しやすいですし面倒が起きにくいからです。しかし仕事をするうえでは、私は私と異なる意見を言う人を重宝します。Yesマンばかりではいいものは作れないと考えているからです。私の考えが及ばないところから意見を言ってくれる人は貴重と考えるからです。


妻についてもそうです。私が妻を選んだのは私と違うからです。趣味趣向から考え方も異なることが多いです。話していると考え方が違うことが結構あります、でもそれを聞いて「そういう考え方もあるのか」とか「へぇ~」って思えることが私はうれしいです。それは意見を押し付けてくるのではなくお互いが考え方を尊重できるからだとは思いますが。

 

自分のことが嫌い→自分のような人を受け入れられない→包容力がない ということじゃないかと思います
※包容力とは過ちや欠点なども含め、相手のさまざまな点を受け入れることができる心の広さ

 

もう一つ言えることは、自分が嫌いという人は自分の考え方や趣味趣向など何かが嫌い、もしくは全部が嫌いということかと思いますが、嫌いならなぜ変えようとしないのでしょうか。自分を変えることが出来るのは自分しかいません。他人の意見を参考にはできますが、他人は自分ではないので他人が自分を変えることはできません。自分のことが嫌いなのになぜ変えようとしないのでしょうか。人が言ってくるやってくる嫌なことは拒否するのに、自分の嫌なことは許容して続けているのでしょうか。

 

それ、ほんとうに、自分が嫌いなんですか
あれ、、、嫌いな点、欠点も受け入れていると考えるならば包容力がある ということになるのでしょうかね。。。

 

自分のことが好き・・・自分の欠点を変える・欠点も含めて好きと考えることができる、ポジティブシンキングな人。
自分のことが嫌い・・・自分の欠点を受け入れる包容力があり、自分を表に出さない謙遜・おくゆかしい人。

 

で、どうでしょう。

 

おわりー