激しい喜びはいらない、そのかわり深い絶望もない

何かあったら書こうか。それとも黙ろうか。それが問題だ。

生と死

生きている奇跡と死という現実という話

 

盆にいとこの3回忌があって50歳にしてなくなった現実を考えた。年寄若いに関わらず人はいつか死ぬという現実。死について考えたこともなかった若いころと比べると比較的、死という現実を感じるようにはなっていると思う。まあすでに病気で余命が告げられているような人から比べると軽いもんだが。でもまだどこかに死なないだろうという考えもある。じゃあまだはいつまでなのか、、

 

ラジオで子どもを産んだパーソナリティの女性の話が流れてくる。「バイリンガルニュース 329」なのだが、まあ明るくてうれしい話題だよね。人がこの世に生まれてくるという奇跡、その奇跡に出会えた女性の歓喜の声。妊娠から出産までの苦労話。自分の子供が生まれたときのことを思い出すなぁとか考えながら聴いていました。それこそ死とは全くもってかけ離れている話なのだが、生まれた瞬間に死という現実も生まれる。生まれなければ死はないのだから。

 

というようなことを考えることはたまにあるのだが、私の結論はいつも同じ


考えても仕方がない


死を予知することは不可能。だからか私は遠い未来を見て生活しない。遠い未来は約束されていないしそれこそ明日息をしているかも分からないのに数年先どうしようとか、老後どうしようとか考えても仕方がない。遠い未来には思いを馳せず、近い未来の目標や楽しいことに向かって生きる方が私には合っている。来年どうしようとかじゃなくて、今日帰ったらあれしようとか今週末あれしようとかそういうことだ。


今日はプレミアムフライデーだから、帰りに美味いケバブ食って家に帰ったら今考えているスキル構成をMHWで試したい!


おわりー